原爆ドーム

画像
ライトアップされている原爆ドーム、そしてビルの谷間の原爆ドーム。
台風の中でも多くの皆様が来てくださいました。
ありがとうございました!!
感謝します。

そして始まる前大先輩の鈴木瑞穂さんが話されました。
19才の瑞穂少年は江田島から原爆を見たそうです。
そして自身のノートに怒りを書きつけたそうです。それが俳優を続けている原点だと。

それは私も聞いていた事だけど、広島の地であらためて聞くと色々考えさせられます。

38年前初めてドームを見た時は怒りに身体が震えました。

風化させてはいけない!!
あらためて思います。

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

まつひら
2014年10月14日 23:35
さほさん今晩は。
私の祖父も14歳の時に、海軍の予科練志願兵として下関の軍事工場に行っていました。
終戦の玉音放送は、下関で聞いたそうです。
祖父は、初め、この玉音放送の意味が、よく解らず、天皇陛下は、もっと頑張れと我々に激励しているのかなと思ったそうです。しかし、二、三日して、どうも日本は、この戦争に負けたらしいと仲間から聞かされ、下関から、引き揚げる列車の中で当時、原子爆弾と言う言葉は、誰も知らず、祖父は、上官から、どうも広島には、大変、光線のきつい特殊爆弾が、落ちたそうだから、決して、裸眼で見ない様にと言われ、列車の窓枠に、ほろを掛けて、鉄枠だけ残った広島駅のホームに降りたったそうです。
そして、その激しい広島の惨状を見て、初めて日本は、この戦争に負けたんだど思ったそうです。
そんな、祖父は、「二度、戦争なんてゴメンだ」が口ぐせです。
さほ
2014年10月15日 10:01
コメントありがとうございます!!
昨日瑞穂さんが帰り道、死体が川をおおっていた光景が忘れられないと 言ってました。

この記事へのトラックバック

  • 原爆ドーム、「定期健診中」 来年100歳に

    Excerpt: 世界遺産・原爆ドームの健全度調査が5日、始まった。1915年に広島県物産陳列館として完成し、建物は来年で「100歳」になる。広島市は、熱線や爆風をしのぎ、原爆の惨禍を伝えてきた「生き証人」の壁面や鉄骨.. Weblog: ローカルニュースの旅 racked: 2014-12-06 22:34